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東京高等裁判所 昭和59年(う)1948号 判決

被告人 宮内裕志

昭三一・一二・一三生 無職

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人内藤満が提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は、東京高等検察庁検察官松田紀元が提出した答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第一点について

所論は、要するに、原判示第一の事実について、被告人は、加納みどり(以下「被害者」という。)を殺害する時点においては同女所有の金品を強取する意思を全く欠いていたもので、強盗致死罪は成立しないのに、原判決が、右の際被告人において同女所有の金品を強取する意思を有していた旨認定したのは、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認である、というのである。

そこで検討すると、原判決が原判示冒頭の事実及び第一の事実について挙示している関係各証拠、特に被告人の検察官に対する昭和五八年二月一〇日付、同月一六日付及び司法警察員に対する同月八日付各供述調書によると、被告人が被害者を殺害する際同女所有の金品を強取する意思を有していた旨原判決が認定判示しているところは、優にこれを肯認することができる。

所論に即して以下これを補足する。

一  被告人の捜査段階における自白の任意性

所論は、被告人の捜査段階における自白の任意性について、おおよそ次のとおり主張している。

被告人の司法警察員に対する昭和五八年二月八日付、検察官に対する同月一〇日付、同月一六日付各供述調書、被告人作成の各上申書によると、被告人は、捜査段階において、「被害者が被告人と婚約者神子柴恵子(以下「恵子」という。)との仲をめちやめちやにしてやると言い出したので、そのときいつそのこと被害者を殺してその通帳、印鑑を奪つてしまおうと決心した。当時被告人の手もとには三万二〇〇〇円程度しかなく、その日恵子のいる長野に行く旅費も心もとなく、金が必要だつたことからそのように決心した。」旨述べているが、右自白の任意性には強い疑いがある。すなわち、被告人は、昭和五八年二月一日午後一一時一五分ころ、逮捕状の発付を待たず警察によつて身柄を拘束され、同日午後一一時三〇分ころから翌二日午後一〇時ころまで延々二〇時間以上にわたつて取調官の前に座らされ、あるいはポリグラフテストを受けさせられている。この間三回程度の休息は与えられたものの、それも取調官の眼前で一〇分から二〇分くらいの間お茶、コーヒーを飲む程度で一人になることは許されず、また、風邪と眠気によつて意識がもうろうとしていることを訴えても取り上げられることもなかつた。被告人に対する取調べは、右のように強引でものものしく、かつ威迫的な雰囲気の中で執拗に行われたのであるが、取調官の質問も、被告人が原審第三回公判で「川崎部長にお前がやつたんだろうというふうな決めつけをずつと言われていました。」と供述しているように、相当威迫的であり、あるいは「お前が自供しなくても証拠だけで逮捕できるから、逮捕状が来る前に全部話してしまえ。逮捕状が来てから逮捕になると、かえつて情状が悪くなつて不利になるからその前に話せと言われました。」と供述しているように、心理的な圧迫を加える態様で行われ、被告人は食事ものどを通らない心理状態、生理状態の下にこれに応じて自白したものである。右のような身柄拘束から自白に至る経緯から考えると、被告人に対する取調べは人権に対する不法不当な圧迫と評するのが相当であり、被告人の自由意思を著しく抑圧するもので、被告人の供述調書中の自白部分全部、特に強取の意思にかかる部分の任意性には極めて強い疑問を持たざるをえない。

以上のようにいうのである。

ところで、被告人の原審公判廷における供述、本件の捜査に当たつた神奈川県警察本部捜査一課所属の警部補日下部輝雄の原審証言等によると、所論が主として問題にする昭和五八年二月一日から翌二日までの被告人に対する取調べの経過及び状況は、概略次のとおりと認められる。

1  本件捜査は、当時アパートの被害者方居室が約一〇日間にわたり施錠されたままで被害者の所在も不明である旨の被害者の妹からの訴え出により、被害者方に赴いた警察官によつて、昭和五八年二月一日午後八時四八分ころ、被害者の殺害されているのが発見されたことから開始されるに至つたものであるが、警察側は、右妹から被害者が事件直前まで被告人と同棲して親密な関係にあつた旨聞き込んだので、事案の重大性と緊急性に鑑み、速かに被告人から被害者の生前の生活実態を中心に被告人の事件当時の行動などについても事情を聴取する目的で、同日午後一一時過ぎに被告人をその自宅から平塚警察署に任意同行した。

2  そして、まず、被告人から身上関係、被害者と知り合つたいきさつ等について簡単な事情聴取をした後、同日午後一一時半過ぎころから、日下部警部補及び川崎巡査部長(日下部は外部との連絡や裏付け捜査の指揮にも当り、被告人からの事情聴取は主として川崎が担当した。以下「取調官」という。)が担当して被告人に対する本格的な取調べに入り、冒頭被告人に対して本件捜査への協力方を要請し、これに納得し一刻も早く犯人を捕まえてもらいたいと述べて協力を約した被告人承諾の下に、夜を徹してその取調べを続けたが、翌二日午前九時半過ぎに至つて、被告人は被害者を殺害した事実について自供を始めた。なお、その間同日午前四時ころから同五時ころまでの約一時間にわたり被告人の承諾を得てポリグラフ検査を実施したが、被告人が犯人であるとする反応は現れなかつた。

3  取調官は被告人が自供を始めた後約一時間にわたつて取調べを続けたうえ、午前一一時過ぎころから被告人に犯行の概要を記載した上申書を作成させることとし、被告人はこれに応じて、被害者と知り合つてから殺害するまでの経緯、犯行の動機、方法、犯行後の行動などについてかなり詳細に記載した全文六枚半に及ぶ上申書を、二、三〇分の昼休み時間をはさんで午後二時ころ書き上げた。

4  取調官はその後も被告人に対する取調べを続け、午後四時ころから更にもう一通の上申書を被告人に作成させることとし、被告人は、被害者を殺害した当時被害者の金品を強取する意思を有していた旨具体的に記載した全文一枚余の「私がみどりを殺した本当の気持」と題する書面を午後五時ころ書き上げた。

5  その後取調官は総括報告書を作成するなどして逮捕状請求の準備に入り、午後七時五〇分(裁判所受付時刻)、右二通の上申書をも疎明資料に加え、当時の被告人の自供内容に即した強盗殺人・窃盗の罪名で逮捕状を請求し、逮捕状の発付を得たうえ、午後九時二五分被告人を逮捕し、その後間もなく当日の被告人に対する取調べを終えた。

以上のような被告人に対する取調べの経過及び状況によると、その取調べは、刑訴法一九八条に基づき被疑者に対する任意捜査として行われたものであると認められるところ、同条に基づく被疑者に対する取調べに際して強制手段を用いることが許されないことは当然であるが、その取調べは、事案の性質、被疑者に対する容疑の程度、被疑者の態度など諸般の事情を勘案して、社会通念上相当と認められる方法ないし態様及び限度において許容されるものと解すべきである(最高裁判所昭和五九年二月二九日第二小法廷決定・刑集三八巻三号四七九頁参照)。

ところで、本件事案の性質、重大性及び前記のように被害者が事件直前まで被告人と同棲していた旨の信頼できる聞き込みを得ていたことからすると、直接被告人から、被害者の生活実態や被告人の事件当時の行動などについて、速やかに事情を聴取する必要のあつたことは明らかであるから、前記のように被告人を任意同行して取り調べたことに問題はなく、任意同行を求めた手段・方法について相当性を欠いていたと疑うべきかども存しない。

もつとも、前記日下部の原審証言によると、右取調べ開始の当時、前記のような聞き込みはあつたものの、被告人と事件とのかかわりを示す確たる資料まではなかつたというのであるから、被告人を帰宅させることなく前記のように徹夜で取り調べたことは、任意捜査の方法として妥当であつたといえるかどうか疑問がない訳ではない。しかしながら、取調べの経過及び状況は前示のとおりであり、関係証拠によると、

1  被告人は当初から取調べに協力する積極的姿勢を示していたばかりでなく、取調べの途中においても取調べを中断して帰宅ないし休息させてほしいなどと申し出た形跡がないこと、

2  被告人に対する前記取調べは、被告人の原審公判廷における供述(ただし、その供述中、警察官に対して風邪気味であると訴えたが取り合つてくれなかつたとか、前記各上申書は警察官が一方的に口述するところをそのまま記載させられたものであるという部分は、これを否定する日下部の原審証言に照らして措信できない。なお、被告人は、原審第三回公判で、自供開始は二日午後七時ころであり、午後八時過ぎから二枚位の上申書を書かされたと供述しているが、同第四回、第五回各公判における日下部証言後の同第六回公判では、右上申書作成時間は日下部証言の方が正しいかもしれないとたやすく訂正するなど、取調状況に関する被告人の原審公判供述には不当な誇張が随所に窺われる。)によつても、徹夜の取調べという点を除いて、自白の任意性に疑いを生じさせるような方法ないし態様のものであつたとは認められないこと、

3  被告人が被害者を殺害した旨自供を始めたのは、取調べ開始後約一〇時間を経過した翌朝午前九時半過ぎという比較的早期の段階であり、日下部の原審証言によると、被告人は、自供を始める前に、日下部に対して、新聞発表や家族への影響などを憂慮したうえで、「刑事さん、申訳ございません。」と言つて涙を流していたというのであり、しかもその後に作成した前記二通の上申書には、被害者の郵便貯金払い戻しの時期を被害者殺害の前であるとしたり、被害者殺害の方法につきコードによる絞頸の点を秘匿するなど明らかな虚偽を記載しており、なお又、前記ポリグラフ検査についても、被告人は、受検の際ほかのことを考えていれば反応が出ない旨を、後日、日下部警部補に述懐していたことが認められ、これら諸事実に徴すれば、原審公判廷で被告人が供述しているように、当時被告人が眠気のため意識がもうろうとしていたなどとは到底考えられないこと、が明らかであつて、これらの諸事情と本件事案の性質、重大性を総合勘案すると、被告人に対する前記取調べは、徹夜で行われた点に問題がないとはいえないものの、社会通念上任意捜査として許容できる限度を超えていたものとは認められない。

従つて、被告人に対する前記取調べの際になされた自白の任意性には疑いがないというべきであるから、原判決が原判示冒頭の事実及び第一の事実を認定するに当たつて採証の用に供している被告人の供述証拠、すなわち被告人の検察官に対する昭和五八年二月一〇日付、同月一六日付、同月一八日付、同月二一日付及び同月二二日付並びに司法警察員に対する同月五日付、同月八日付、同月九日付、同月一〇日付、同月一二日付、同月一七日付及び同月一八日付各供述調書に録取されている自白の任意性を検討するに当たつて、被告人が同月二日になした取調官に対する自白の影響を考慮する必要もないのであつて、他に右各供述調書に録取されている自白の任意性に疑いを差し挟むべき証跡は存しないから、右自白の任意性には疑いがないものというべきである。

二  被告人の捜査段階における自白の信用性

所論は、被告人は捜査段階において、被害者を殺害した際同女所有の金品を強取する意思を有していた旨自白しているが、右自白は、捜査機関の捜査の結果と捜査官の見込みを基礎にした執拗な理詰めの押しつけに屈して捜査官の誘導するままになされたものであり、信用性がないと主張している。

ところで、所論は、原判決が原判示第一の事実について、被告人が被害者を殺害した際金品強取の意思を有していた旨認定しているところを事実誤認に当たると主張しているものであるから、ここで信用性が問題となるのは、原判決が原判示第一の事実について採証の用に供している被告人の前記各供述調書のうち右金品強取の意思にかかわる内容を有するもの、すなわち被告人の司法警察員に対する昭和五八年二月八日付、検察官に対する同月一〇日付、同月一六日付各供述調書である。

そこで、右各供述調書のうち金品強取の意思にかかわる部分の信用性について検討すると、

1  被告人が、所論のいうように、捜査機関の捜査の結果と捜査官の見込みを基礎にした執拗な理詰めの押しつけに屈して捜査官の誘導するままにその供述をしたと疑わせる証跡は全く存しない。

右の点に関して、所論は、被告人に対する取調べに強引な説得が用いられたことは、例えば、被告人の司法警察員に対する同年二月一二日付供述調書で、被告人が、前後八回にわたるサラ金業者からの借金に関し、サラ金各社の元利金の合計、借入金の用途、返済金額、返済期日の詳細を具体的な数字を挙げて供述したこととされていることによつても明らかである、すなわち、被告人がこれらの事項を正確に記憶していたとは考えられず、取調べ前に捜査機関が捜査した結果に基づいて供述調書を作成し、これに被告人をして署名捺印させたものであることは明らかであり、他の供述調書も同様の経緯で作成されたものではないという確証がない限り、少なくとも被告人の供述調書を証拠として採用することは、事実確定にとつて極めて危険であるというのであるが、例えば被告人があえて争つていないサラ金の利用状況の如きについては、捜査官が予めサラ金業者について事実を調査し、その結果が被告人の記憶と合致するかどうかを確かめるという方法で被告人の取調べを進めることもありうるのであつて(本件においても、捜査官は、被告人の司法警察員に対する前記二月一二日付供述調書作成前に、サラ金各業者を取調べ、同月六日付でこれを総括した捜査報告書をとりまとめている。)、そうした取調べによつて得た被告人の供述を整理して作成した供述調書に具体的かつ詳細な数字が掲げられているからといつて、その供述調書の記載が捜査官の押しつけによるもので信用できないということはできないから、前記のような理由で被告人の供述調書一般についてその信用性を問題とする所論は、独自の見解というべきで首肯しがたい。

2  前記被告人の司法警察員に対する同年二月八日付、検察官に対する同月一〇日付、同月一六日付各供述調書中金品強取の意思にかかわる部分は、以下述べるように、その内容に不自然な点がなく、他の証拠によつて確定できる客観的事実とも整合性を有し、被告人の性向や被害者殺害後の行動とも矛盾しない内容を有している。すなわち、

(一)  被告人は、右各供述調書では、被害者殺害の方法及び被害者の殺害と郵便貯金をおろした時刻の先後について、従前の供述は虚偽であつたとしてその供述内容を変更しているのであるが、従前虚偽を述べていた理由やその後真実を述べるに至つた動機について供述しているところに不自然な点がない。

(二)  右のように供述を変更する以前、被告人が、被害者に依頼されて郵便局で貯金をおろし、その金を被害者に渡した後に同女を殺害した旨供述していたところは、客観的な証拠によつて確定できる郵便貯金の払い戻しを受けた時刻との関係で事実に反するものといわざるをえないが、前記各供述調書で、それが虚偽であるとして、被害者を殺害した後郵便貯金通帳や印鑑を奪い、これを利用して郵便貯金の払い戻しを受けた旨供述しているところは、前記時刻との関係でも整合性を有する。

(三)  被告人は、前記検察官に対する各供述調書において、被害者を殺害するに至つた動機の一つとして、当時手持金が三万二〇〇〇円程度しかなく、恵子のいる長野へ行くために金が必要であつたことを挙げているのであるが、その理由も、被告人がそれまで岡谷市へ出かけるなどして恵子とデートを重ねた際には、その都度おおよそ八万円以上を費して派手に遊興していたこと、及び被告人が本件で被害者を殺害した後、同女所有の郵便貯金通帳、印鑑などを奪つたほか、被害者のセカンドバツグを開けてその中にあつた小銭のバラ銭(合計一五〇〇円くらい)まで盗み出し、更に引続き右通帳、印鑑を利用して貯金残高のほぼ全額に近い一一万円の郵便貯金をおろし、その足で長野県岡谷市の恵子方を訪れ、一月二二日から二六日まで同女と行動を共にする間に約一二万円の金員を遊興費、交通費等に費消していることを考え合わせると、十分首肯できる。

右の点につき所論は、被告人が原審公判廷で、恵子を訪ねる旅費としては三万円もあれば十分で、そのために金が必要であるとは思つていなかつた旨供述していることを挙げて、被告人の本件犯行当時の所持金が三万二〇〇〇円程度であつたことを金品強取の意思と結びつけて論ずるのは合理的でない旨主張しているが、前記のような被告人が恵子とデートした際の金員の費消状況、及び本件犯行後の行動、特に被告人が被害者を殺害した現場で同女所有のセカンドバツグの中から小銭のバラ銭まで盗み出している事実などに徴すると、当時手持ちの三万二〇〇〇円以上の金を必要としていなかつたという被告人の前記供述は、いわゆる弁解のための弁解というほかなく、到底これを措信することはできないのであつて、右主張は採用できない。

なお、恵子に会いに行くのに必要な金を入手するために被害者を殺害しようと決意したというのは、一見いささか常軌を逸しているかのようでもあるが、被告人が、これまでにも恵子との関係で、仮釈放中の身であることを顧慮することもなく他から金員を窃取して恵子とのデートの用に供していること、すなわち、昭和五七年一〇月一〇日ころ勤務先の理髪店の定休日に管理人に嘘を言つて店内に入り込み、現金八万円くらいを窃取し、その足で恵子に会うため岡谷市に赴いていることや、恵子が同年一二月三〇日ころ清水市に来た直前ころ、当時同棲していた被害者方で同女所有の現金七万円を窃取し、その金で清水市に赴き、その後数日間恵子と行動を共にしていることなどによつてうかがえる被告人の性向、及び被告人が被害者殺害を決意するに至つたのは単に金欲しさのためだけではなく、原判示のとおり、そもそもは被害者の言動に激昂したことにも起因していることを考え合わせると、被告人が被害者を殺害した当時財物強取の意思を有していた旨の捜査段階における前記供述は決して理解しがたいものではない。

右の点に関し、所論は、更に、被告人の本件犯行当時の心理状態について原判決が判示しているところによると、被告人は、被害者との話し合いを諦めていつたん出口の方に向かつて歩いていたところを背後から被害者に羽交い締めにされて引き止められた時点から、被害者をベツドの上に仰向けに突き倒してその頸部を両手で絞めるまでのわずかの間に、被害者が本気で被告人と恵子との仲を壊すことを恐れ、併せて所持金が三万二〇〇〇円くらいしかなく恵子を訪れる旅費としては心もとないので、被害者所有の金品を強取しようと決意したというのであるが、このように被告人の心理状態を二つに分類した認定自体が、被害者から慰謝料の請求をされ、被害者との関係を恵子に暴露する旨告げられて水掛け論を強いられた末に、羽交締めにされて激昂し、恵子に会いに行く時間のことも気にしていた被告人の心理の分析としては、ほとんどこじつけに近い程不自然であり、常識的な経験則に著しく反する旨主張しているが、所論指摘の原判決の判示部分、すなわち、被告人が被害者方から出て行こうとして引き止められた時点から被害者を殺害しようと決意するまでの経過について原判決が認定判示している部分、及びその認定の根拠になつたと思われる被告人の捜査段階における前記供述の内容は、事そこに至るまでの事態の推移全般や前示の如き被告人の非情かつ身勝手な性向等を合せ考えれば十分に了解可能であり、所論がいうように不自然で経験則に反するものとは到底考えられない。

以上1及び2で説示したところを総合すると、被告人は原審公判廷で一貫して被害者殺害の時点における強取の意思を否認しているけれども、右強取の意思を認めた被告人の捜査段階における前記供述は十分信用に値するものと認められる。

その他所論の主張するところをつぶさに検討してみても、原判決に所論のいうような事実の誤認があるとは認められず、論旨は理由がない。

控訴趣意第二点について

所論は、要するに、原判決は、被告人が被害者を殺害した直後に奪取した財物中に同女所有のカラーテレビ一台を挙げているが、被告人の原審公判廷における供述によると、右テレビは、被告人が、原判示第一の犯行後、いつたん現場を離れて長野県下に赴いたうえ同地から帰つた昭和五八年一月二六日ころに被害者方から持ち出したもので、被害者を殺害した機会に奪取したものではなく、これとくい違う被告人の捜査段階における供述は任意性に疑いが濃くかつ信用性に欠けるから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というのである。

そこで検討すると、原判決が原判示第一の事実について挙示している証拠によると、原判決が所論指摘のカラーテレビ一台の奪取時期について認定判示しているところはこれを肯認することができる。

所論に即して以下これを補足する。

所論の指摘するように、被告人は原審公判廷において、第六回公判期日の途中から、それまでの捜査、公判段階を通じ一貫して右テレビを奪つたのは被害者殺害の直後であると述べてきたところを俄かに飜し、右テレビを奪つたのは右殺害現場においてではなく、右犯行後長野県下に赴いたうえ、同地から平塚市に帰つて来た一月二六日に再び被害者方に入り込んだ際、これを持ち出して自宅の物置に隠したものである旨供述しているところ、所論は、右供述は量刑上の有利、不利を全く意識しないでなされたもので信用性が高いと主張している。

しかしながら、右供述のなされた後、原審第一五回公判期日に、検察官が被告人に対し、一月二六日午前一一時五分ころ平塚駅に到着した後同夜加藤市太郎方で宿泊するまでの被告人の行動を逐一確認したうえ、それとの関連で一体いつ被害者方に赴いたのかと質問すると、被告人は、返答に窮し、被害者殺害後再び同女方に行つたのは一月二六日ではなかつたかも知れない、とにかくテレビを持ち出したのは平塚に帰つた後加藤市太郎とともに飲酒した後のことであると述べるなどその供述はしどろもどろに動揺しているのであるが、関係証拠によると、被告人が平塚市に帰つた後加藤と飲酒したのは一月二六日及び翌二七日と認められるところ、被告人は右両日の行動について捜査官から詳細な供述を求められた際にも、被害者方からテレビを持ち出したことなどは全く述べていない(被告人は、捜査段階の当初にテレビを被害者殺害の機会に持ち出したと述べてしまつたために、その後これを訂正する機会を失した旨弁解しているが、被告人がその点について捜査官に虚偽を述べたり訂正をためらつたりする必要があつた事情はなんら認められない。)ことに照らすと、所論の援用する被告人の原審公判廷における供述はたやすく信用することができない。

一方、被告人は、捜査段階では、被害者を殺害した直後にテレビを奪いこれを自宅物置に隠した旨一貫して供述し、自ら現場で犯行状況の再現まで行つているところ、右供述の任意性に疑いが認められないことは控訴趣意第一点について説示したとおりであり、その供述及び犯行状況の再現は、自宅物置にテレビを運び込む際、自宅北側と隣家とのわずかな隙間を通つたが、その境目に張つてある有刺鉄線に着ていたズボンをひつかけ、右側ポケツトの辺りに約一センチメートルのかぎ裂きを作つてしまつたという特異な事実を交えた極めて自然で詳細、具体的なものであるうえ、被告人が本件犯行後長野県下で恵子と行動を共にしている間に同女らによつて右ズボンのかぎ裂きが現認されていることをも考え合わせると、十分信用に値するものと認められる。

以上のとおりで原判決には所論のいうような事実の誤認はなく、論旨は理由がない。

なお、被告人提出の控訴趣意書は、弁護人が公判廷でこれを陳述しない旨表明したので、これに対して判断を示す必要はないものであるが、事案の重大性にかんがみ、右趣意書記載事項について念のため職権をもつて調査する。

右趣意書記載の第一点は、要するに、弁護人の控訴趣意第一点と同趣旨のものに過ぎない。ただその記載中には被害者に対する殺意をも否定している部分があるが、ドライヤーのコードを被害者の頸部に巻きつけ、これを力一杯引張つて締めつけたという殺害方法に照らしても、被告人が殺意を有していたことに疑問を差し挟む余地はない。

また、右趣意書記載の第二点は、量刑不当の主張である(もつとも、その記載は刑訴法三八一条所定の要件を満たしていない不適式なものである。)が、原判決が「被告人の身上、経歴及び犯行に至る経緯」並びに「罪となるべき事実」として詳細に認定判示しているところによつて明らかなとおり、本件犯行の動機は極めて身勝手なもので酌量の余地がなく、犯行の態様、特に殺害の方法は、被害者の上に馬乗りとなつて両手でその頸部を締めつけ、更にその死を確実なものにするため、頸部にドライヤーのコードを巻きつけて力一杯引張つて締めつけ、同女を窒息死させたという甚だ残忍なもので、結果も重大であるうえ、被告人は犯行によつて得た金員を携えて婚約者の許へ赴き平然として遊興を重ねるなどしてこれを費消していること、更に被告人は一三歳のころから補導歴、非行歴を重ね、一九歳の時には寺に放火して元住職夫婦の焼死を招くという現住建造物等放火等の罪で懲役五年以上一〇年以下に処せられ、本件は右刑の仮出獄中の犯行であるという犯罪歴や、その無軌道、放縦な生活態度に現れている根深い反社会的性格を考慮すると、被告人が若年であることや、それなりに反省していることなど、被告人にとつて有利な事情を極力しん酌してみても、酌量減軽に値する程の憫諒すべき情状があるとは認められず、従つて被告人を強盗致死罪に対する法定刑のうち軽い無期懲役に処した原判決の量刑が重過ぎて不当であるとはいえない。

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用につき刑訴法一八一条一項但書を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 柳瀬隆次 阿蘇成人 中野保昭)

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